鬱なのにクレーム対応やってまして(鬱クレ)

今は「元うつ病」です。うつ病を完治させ、普通の暮らしを取り戻そうと奮闘する日々。

『生きたくない』と『死にたい』は別物だという話

「どうして生きてなきゃいけないんだろう」

「いっそのこと、死んでしまった方がマシだ」

「いやもう死んでしまおう」

先の見えないうつ病を抱えて、何度もそう思いました。

実際は本当に死んでしまわないように、自身の希死念慮との戦いの毎日でしたが。

 

ただ、うつ病が完治した今、あの時もし本当に死んでしまったとしても、問題の解決にはならなかったのではないかと思うのです。

自殺のニュースは常に日本国内を駆け回り、絶えることがありませんが、かつての私も含め、皆さん果たして本当に死にたかったんだろうか?

 

私は「生きていたくない」と思っていました。

生きていたくないから、逃げでも何でもいいから、死んでしまいたかった。

 

生きなくてすむためには、自分を殺すしか方法がない。自分を殺すということは、自分を無くするということである。(中略)しかし、死ぬということは、無になるということで、本当にいいのだろうか。(『41歳からの哲学』池田晶子著)

もし、生の反対が死で、死んだら無になるのなら、どうして我々は墓参りにいくのだろうか。心の中で故人に話しかけるのだろうか。と池田氏は言っています。

 

つまりは『生きていたくない』ことと『死にたい』ことは別物であり、生きたくないからと自殺をする選択は、結論を急ぎすぎているのです。

だからと言って、目の前で苦しんでいる人に『何が何でも生きろ』とは言えません。

 

生き方にも様々あります。

必死に生きなくていい。

小さく生きる。死んだように生きる。

苦しいときは、自分の身の丈に合った『生き方』で生きればいい。

 

悪いことは続きません。

またいつか、笑顔が戻る日がきます。